เข้าสู่ระบบ夫が目を覚ますと、体が燃えるように熱かった。
体温計を脇から抜く。
39.2℃
「うわ……最悪」
妻はいない。
娘もいない。
テーブルの上にメモが置いてあった。
買い物に行ってきます。寝ててね。
いい妻だ。
夫はそう思った。
喉が渇いた。
「水……」
冷蔵庫まで行くのが面倒だ。
いつもなら妻に、
「水取って」
と言えば済む。
だが今日は誰もいない。
仕方なく体を起こした。
その瞬間。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
宅配便だった。
荷物を受け取り、ようやく寝室へ戻ろうとする。
今度はスマートフォン。
娘の学校からだ。
『来週の持ち物について――』
知らない。
妻に聞けばいい。
そう思った瞬間、洗濯機が鳴った。
ピー。
ピー。
ピー。
「何だよ……」
止めに行く。
今度は炊飯器。
ピーピー。
食洗機。
ピピピ。
給湯器まで、
『お風呂が沸きました』
と喋り始めた。
「知らねえよ!」
夫が叫ぶ。
突然、家中が静かになった。
リビングの床に、白い紙が1枚落ちている。
では、本日の夕飯を決めてください。
「……は?」
玄関のドアが開いた。
見知らぬ男が1人入ってきた。
「今日の飯、何?」
「誰だよ!」
男は答えない。
その後ろから、また男。
「俺、何でもいいよ」
3人目。
「何でもいいけど魚は嫌」
4人目。
「昨日カレーだったから、それ以外」
5人目。
「簡単なのでいいよ」
「ちょっと待て!」
男たちは増えていく。
10人。
20人。
50人。
100人。
全員が夫を見る。
「今日の飯どうする?」
「何食う?」
「俺、何でもいい」
「でもそれは嫌」
「簡単なのでいい」
「腹減った」
夫は頭を抱えた。
「自分で考えろよ!」
その瞬間。
100人の男たちが、ぴたりと黙った。
全員が同じ角度で首を傾げる。
「え?」
「……」
「それ、誰の仕事?」
夫の背中を冷たい汗が流れた。
逃げる。
キッチンへ飛び込む。
冷蔵庫を開ける。
食材はある。
キャベツ。
豚肉。
卵。
豆腐。
人参。
冷凍したひき肉。
ちゃんとある。
でも――
何を作ればいいのか分からない。
夫はスマートフォンを手に取った。
妻へ電話する。
プルルル。
プルルル。
「もしもし!」
『どうしたの?』
「今日、飯どうする?」
沈黙。
『あなたが決めて』
「俺、熱あるんだけど!」
『知ってるよ』
「39度2分!」
『うん』
「具合悪いんだって!」
妻が静かに答えた。
『だから?』
「……え?」
『昨日、私も39度2分だったけど』
電話が切れた。
ツーツーツー。
夫は動けなかった。
冷蔵庫の冷気だけが顔に当たる。
その奥から声がした。
「なあ」
「……誰?」
冷蔵庫だった。
「今日の飯どうする?」
「お前まで?」
電子レンジが言う。
「俺、何でもいいよ」
炊飯器。
「簡単なのでいい」
トースター。
「でもパンは気分じゃない」
食洗機。
「俺のコップどこ?」
洗濯機。
「靴下どこ?」
テレビ。
「リモコンどこ?」
トイレの方から、
「紙なくなったよ」
夫は耳を塞いだ。
「やめろ!」
「どこ?」
「何?」
「どうする?」
「何食う?」
「どれ?」
「分からない」
「知らない」
「教えて」
「やって」
声が追いかけてくる。
夫は玄関まで逃げた。
ドアを開ける。
そこに妻が立っていた。
「助けてくれ!」
妻は首を傾げた。
「どうしたの?」
「家がおかしい!」
「そう?」
「全部、俺に聞いてくるんだ!」
「何を?」
「飯とか! 洗濯とか! 娘のこととか!」
妻は少し考えた。
それから、にっこり笑った。
「じゃあ最後に1つだけ」
「何?」
「今日の飯、どうする?」
夫の顔が絶望に染まった。
その瞬間。
家中の家電が一斉に叫んだ。
「自分で考えろ!」
白い光が夫を包んだ。
一瞬で姿が消える。
あとに残ったのは、
トイレットペーパーの芯が1本。
享年42歳。
死因――
自分で考えなかったため。
……
「……ひどい」
沙織さんは原稿から顔を上げた。
私は聞いた。
「お気に召しませんでしたか?」
「いえ」
肩が震えている。
「最高です」
笑っていた。
来店した時より、ずっと明るい。
「冷蔵庫のところ、もう1回読んでもいいですか?」
「どうぞ」
「『今日の飯どうする?』」
彼女はまた笑った。
私は受付票を取り出し、最後の欄を埋める。
受付番号:001
対象:夫
本日の罪状:妻への家庭内判断業務の丸投げ
常習性:常習
来店時の我慢度:★★☆☆☆
退店時の我慢度:★☆☆☆☆
選択コース:C
処理:完了
「処理完了って書くんですね」
「記録ですので」
「夫、生きてますけど」
「現実では」
沙織さんがまた笑った。
原稿をバッグへしまい、立ち上がる。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
ドアの前で彼女が振り返った。
「なんか……どうでもよくなりました」
私は頷いた。
それでいい。
殺さなければならないほど憎いわけではない。
離婚したいわけでもない。
ただ、ときどき。
原稿用紙の上で1回くらい死んでもらわないと、
明日も一緒に暮らせない。
「また必要になりましたら」
沙織さんが笑う。
「できれば来ないようにします」
「皆様そうおっしゃいます」
……
その夜。
沙織が家へ帰ると、誠はソファでテレビを見ていた。
「おかえり」
「ただいま」
「どこ行ってたの?」
「ちょっとね」
沙織はコートを脱ぐ。
「そういえばさ」
「うん」
「俺の充電器知らない?」
沙織の動きが止まった。
夫を見る。
ソファ。
クッション。
テーブル。
そして――
誠のお尻のすぐ横。
黒い充電器。
昨日までなら、
「そこにあるでしょ」
と言いながら取って渡していた。
今日は違う。
「自分で探して」
「え?」
「探してみて」
「いや、だからどこに――」
沙織は夫をじっと見る。
39度2分。
100人の男。
喋る冷蔵庫。
最後に残ったトイレットペーパーの芯。
思い出したら、笑いそうになった。
「ねえ、あなた」
「何?」
「今日、Cコースにしてよかった?」
誠が固まる。
「……何の話?」
「ううん。こっちの話」
「何それ。怖いんだけど」
沙織は笑いながら寝室へ向かった。
背後から声が飛んでくる。
「あ、今日の飯どうする?」
足が止まった。
振り返る。
誠を見る。
にっこり笑った。
「冷蔵庫にあるよ」
「何が?」
「食材」
「……で、何作るの?」
少し前までなら、ここで腹が立っていた。
でも今日は違う。
「自分で考えて」
寝室のドアを閉めた。
数秒後。
リビングから小さな声が聞こえた。
「……チャーハンでいいか」
沙織はベッドに倒れ込んだ。
声を殺して笑う。
まあ。
今日はこれでいい。
夫には、まだ死ななくてもらおう。
少なくとも――
次のCコースまでは。
……
翌朝。
午前10時3分。
店のベルが鳴った。
ドアを開けた若い女性は、片手にスマートフォンを握りしめていた。
ずいぶん、言いたいことがありそうな顔をしている。
私は新しい受付票へ手を伸ばした。
今日も営業開始だ。
夫が目を覚ますと、見知らぬレストランに座っていた。目の前に白いテーブルクロス。向かいには誰もいない。店員が笑顔でやってくる。「いらっしゃいませ。本日は何になさいますか?」夫はメニューを探した。ない。「何があるの?」「何でもございます」「じゃあ、カレー」店員が首を傾げた。「昨日召し上がっています」「じゃあ魚」「今日は魚の気分ではありません」「俺が決めるんじゃないの?」「もちろんです」「じゃあラーメン」「昼が麺でした」「うどん」「麺です」「ハンバーグ」「昨日でした」「牛丼」「少々重いですね」「じゃあ何ならいいんだよ!」店員はにっこり笑った。「何でもいいですよ」夫は黙った。「……親子丼」「また丼ですか?」「オムライス!」「卵が続きますね」「焼きそば!」「昼が麺でした」「チャーハン!」「昨日、お米でした」「毎日米だろ!」次々言う。10品。50品。100品。店員はすべて微笑んで却下する。やがて夫の前に巨大なメニュー表が落ちてきた。開く。10万品。和食。洋食。中華。韓国。タイ。イタリア。その下に、本日のおすすめ:あなたが決めてくださいと書いてある。「多すぎる!」「何でもいいんですよね?」「何でもいいけど!」「けど?」夫はページをめくる。「これは重い」「これは昨日」「これは気分じゃない」「これは面倒」気づけば、自分で全部却下していた。店員が聞く。「では何になさいます?」夫は頭を抱える。「もう……何でもいい!」店内が静まり返った。何百人もの店員が現れ、同時に首を傾げる。「何でも?」「そうだよ!」「本当に?」「本当に!」すると巨大な銀色の皿が運ばれてきた。蓋を開ける。何もない。「……何これ?」「“何でもいい”でございます」「何も入ってないじゃん!」「何でもよろしいので」「食えるもの出せよ!」「何を?」「だから――」夫は言葉を失った。床がゆっくり開く。下には無限のメニュー表。「待て!」夫の体が落ちていく。店員たちが上から聞いた。「明日の夕飯は?」「知らない!」「では明後日は?」「知らないって!」「簡単なもので?」「もうやめてくれ!」メニューの海に飲み込まれる直前、夫は最後に叫んだ。「親子丼でい
「まずAコースです」Aコース『24時間・全決定権付与』朝食。昼食。夕食。子どもの予定。休日の行き先。テレビ。風呂の順番。翌日の弁当。家族から聞かれるすべての、「どうする?」に、ご主人自身で答えていただきます。「それだけ?」「はい」「意外と普通」「ただし『何でもいい』は禁止です」理恵さんの目が輝いた。「それ、いい」「『どっちでもいい』も禁止です」「もっといい」「『任せる』も使用不可」「A、強くない?」「基礎コースです」私はページをめくった。Bコース『提案全否定レストラン』ご主人専用のレストランへご案内します。店員:「何になさいますか?」ご主人:「カレー」店員:「昨日食べました」「魚」「今日は魚の気分ではありません」「うどん」「昼、麺でした」「じゃあ何ならあるんだよ」店員:「何でもございます」理恵さんが声を上げて笑った。「それ、毎日私がやってるやつ!」「完全再現です」「何品まで?」「ご主人がご自身で決めるまで」「100個言っても?」「100個却下します」「Bいいなあ」「続いてCです」私は最後のページを開く。Cコース『完全書き殺し・何でもいい食堂』「Bと似てません?」「Bでは帰れます」「Cは?」「決められなければ帰れません」「……なるほど」私は確認した。「ご主人がよく使う言葉は?」「『何でもいい』」「次に?」「『それはちょっと』」「次は?」「『他にない?』」赤ペンで並べる。何でもいいそれはちょっと他にない?私は原稿用紙を取り出した。題名。『何でもいい。でも、それは嫌』「藤井様」A。B。C。「本日は、どちらに?」理恵さんはBのページをしばらく眺めていた。「B、本当に好きなんですけど」「はい」「これだけでもかなりスッキリする」「変更可能です」「でも」彼女はチラシを見る。「昨日、私がスーパーで30分悩んで、結局ハンバーグにしたんです」「はい」「夫、一口食べて言いました」私は待った。「『今日、和食の気分だったな』」私は受付票へ視線を落とす。「記録に追加します」「してください」追加罪状:完成後に希望ジャンルを申告理恵さんがA、B、Cを見た。「やっぱりCで」「かしこまりました」「何食べさせる
「いらっしゃいませ」私は、目の前の女性に椅子を勧めた。「本日は、旦那様ですか? 彼氏様ですか?」「夫です」「かしこまりました」女性は握っていたスーパーのチラシを、少し乱暴にテーブルへ置いた。私は新しい受付票を取り出す。受付番号:004藤井理恵、44歳。夫46歳。結婚17年。高校生の娘が1人。赤いペンのキャップを外した。「ではまず――今日、何をされました?」「何でもいいって言われました」「何がです?」「夕飯です」私はまだペンを動かさなかった。それだけなら罪状にはならない。理恵さんも分かっているようで、すぐに続けた。「だから『カレーでいい?』って聞いたんです」「はい」「昨日、会社の食堂で食べた」「では?」「魚にする?」「今日は魚の気分じゃない」「麺類は?」「昼ラーメンだった」「鍋?」「今日ちょっと暑くない?」「丼もの?」「重い」私はようやく受付票へ書いた。本人申告:何でもいいその下へ、実態:何でもよくないと追記する。理恵さんが覗き込んだ。「そう! そこ!」「最終的には?」「私も腹が立って、『じゃあ何がいいの?』って聞いたんです」「ご主人は?」彼女は夫の低い声を真似した。「だから、何でもいいって」私は「妻の我慢度」を一つ増やした。★★☆☆☆ → ★★★☆☆「あ、増えた」「適正値です」「しかもね、これ毎日なんですよ」夫は帰宅すると決まって冷蔵庫を開ける。夕食がすでに並んでいても、「今日これ?」と聞く。「何か不満?」と聞けば、「別に」と言う。でも食べながら、「最近、肉多くない?」翌日魚を出すと、「骨あるんだ」さらにその翌日、丼物にすると、「今日は汁物ないの?」私は書き足した。常習性:常習症状:決定権は妻へ。批評権は自分へ。理恵さんが笑った。「ほんと、それ!」「ちなみにご主人が夕食を担当することは?」「あります」「その時は?」「スーパーのお寿司」「毎回?」「ほぼ」私は一瞬考えて、料理に対する要求水準:妻にのみ適用と記入した。「それも書くんですね」「公平を期すためです」「私、別にご馳走を作ってるわけじゃないんですよ。ただ、仕事から帰って、冷蔵庫見て、家族の予定考えて、昨日と重ならないようにして……」彼女はスーパーのチラシを指で押
夫が目を覚ますと、足元に靴下が一枚落ちていた。黒。裏返し。見覚えがある。「また彩が置きっぱなしにしたのか?」拾おうとした瞬間、靴下がすっと逃げた。「……は?」もう一度手を伸ばす。靴下は床を滑り、ソファの下へ。夫が腕を突っ込むと、奥から黒い靴下が10枚出てきた。全部、片方だけ。ベッドの下から20枚。テレビ台の裏から50枚。脱衣所から100枚。家中から、黒、紺、グレーの靴下が湧いてくる。しかも全部、裏返し。「彩!」返事はない。代わりに声がした。「もう片方どこ?」夫は振り向く。「誰だ?」足元の靴下だった。「もう片方どこ?」すると家中の靴下が一斉に動き出す。「もう片方どこ?」「探して」「見つけて」「早く」「うるさい!」夫は叫んだ。「そんなの彩に聞けよ!」ぴたり。数千枚の靴下が止まった。そして一斉に答えた。「だから今、お前に聞いてる」「お前が脱いだ」「お前が放置した」「お前が裏返した」「お前がなくした」夫は後ずさった。「分かった! 探す!」そこから地獄が始まった。一枚ずつ左右を確認し、色を合わせ、柄を合わせる。一組。二組。三組。何時間経ったか分からない。「これで最後だ!」夫は黒い靴下を持ち上げた。しかし片方がない。ソファの下。ない。ベッドの横。ない。テレビ台の裏。ない。洗濯かご。ない。「どこだよ!」その瞬間。天井から、人間一人が入るほど巨大な黒い靴下が降りてきた。「もう片方どこ?」「知らないって!」「探して」「無理だよ!」「でも、いつもそう言ってたよね?」夫が固まる。巨大な靴下が口を開き、夫を丸ごと飲み込んだ。「待て!」暗闇の向こうから機械音。ゴウン。ゴウン。巨大な洗濯機。表示は、脱水・強「やめろ!」回転が始まる。夫は靴下の中でぐるぐる回りながら叫んだ。「せめて表に返してくれー!」享年38歳。死因――もう片方を妻に探させ続けたため。……「……脱水・強なんですね」彩さんが原稿から顔を上げた。「Cですので」「しかも最後まで裏返し」「ご希望でしたので」彩さんは声を立てて笑った。私は受付票を埋める。選択コース:C処理:完了退店時の我慢度:★☆☆☆☆「一つ減ってる」「効果があったようです」「この
「まず、Aコースです」私は黒いメニューブックを開いた。Aコース『自力帰還訓練』脱ぎ捨てられた靴下が、ご主人の足元から逃げます。「逃げる?」「はい。洗濯かごへ入れられるまで、ご主人だけには捕まりません」「それ、ちょっと楽しそう」「ソファの下にも、ベッドの隙間にも、テレビ台の裏にも逃げます」「いつもの場所だ」「学習済みです」彩さんが笑った。「捕まえたら終わり?」「表に返して、左右をそろえて、洗濯かごへ入れれば終了です」「そこまで自分で?」「Aですので軽めです」「それで軽いんだ……」私はページをめくった。Bコース『片方だけ地獄』ご主人が靴下を一枚放置するたび、翌朝、片方だけの靴下が10枚増えます。1回目、10枚。2回目、100枚。3回目、1000枚。「待って。増え方がおかしくないですか?」「反省が見られない場合、倍率が上がります」「家、埋まりません?」「埋まります」「全部片方?」「全部です」「ペアは?」「ありません」彩さんはしばらく想像したあと、肩を震わせた。「これ、かなり好き」「Bは人気です」「まだ統計ないんじゃ?」「体感です」私は最後のページを開いた。「そして、Cコース」Cコース『完全書き殺し・靴下王国』彩さんが姿勢を正した。「今回は、どう死ぬんですか?」「その前に確認を」私は受付票を見た。「ご主人が靴下を探す時、一番よく言う言葉は?」彩さんは迷わなかった。「『もう片方どこ?』」「毎回?」「毎回」「自分で探してから聞きます?」「聞いてから探します」私は追記した。探索順序:妻 → 自分「逆ですね」「逆なんです」「では、もう一つ」「はい」「ご主人、靴下を脱ぐ時、なぜ裏返しになるんでしょう」彩さんが真顔になった。「知りません」「確認されたことは?」「あります。『脱いだらそうなる』って」「自然現象扱いですね」「はい」私は原稿用紙を取り出した。一番上に題名を書く。『もう片方どこ?』彩さんが覗き込んだ。「嫌な予感しかしない」「Cですので」「Aもいいんですよね。ちゃんと自分で拾わせたいし」「はい」「Bもいい。家を全部片方だけにしたい」「はい」「でもCは?」「ご主人に、なくした靴下を最後までご自身で探していただきます」「最後まで?
「いらっしゃいませ」私は、目の前の女性に椅子を勧めた。「本日は、旦那様ですか? 彼氏様ですか?」女性は床に置いた大きな紙袋をちらりと見てから、ため息をついた。「夫です」「かしこまりました」私は赤いペンのキャップを外し、新しい受付票を一枚取り出す。受付番号:003女性の名前は宮本彩、36歳。夫の直樹は38歳。結婚8年目。小学1年生の息子がいる。「ではまず――今日、何をされました?」彩さんは紙袋を持ち上げ、どさりと置いた。「靴下がないって言われました」「靴下?」「今朝、『俺の黒い靴下、またなくなってるんだけど』って」「それだけですか?」「それだけなら来ません」紙袋の口が開く。黒、紺、グレー。男性用の靴下がぎっしり入っていた。「こちらは?」「なくなったって言われた靴下です。片方だけで17枚」私は赤いペンを走らせた。本日の罪状:自分で脱いだ靴下の所在を妻に問う「どこに?」「ソファの下、ベッドの横、脱衣所、テレビ台の裏、車の後部座席……」「洗濯かごには?」「2枚」「17枚中?」「はい」私は受付票へ書き足した。常習性:常習主な症状:靴下は自力で洗濯かごへ移動すると認識彩さんが受付票を覗き込んだ。「しかも全部、裏返しです」私は追記する。追加症状:裏返し「病名みたい」「慢性ですね」「治ります?」「今日はそのために来られたのでは?」彩さんが吹き出した。昨日も夫は帰宅すると、靴下をリビングで脱いだ。「洗濯かごに入れて」と言えば、「あとでやる」朝まで、そのまま。そして翌朝。「黒い靴下ないんだけど」私は「妻の我慢度」を一つ増やした。★★☆☆☆ → ★★★☆☆「あ、増えた」「こちらの判断です」「でも、夫は悪い人じゃないんですよ。仕事もするし、息子とも遊ぶし。家事だって頼めばやります」「頼めば?」「……そこ拾います?」「受付ですので」彩さんは苦笑した。「私が言えばやる。でも、自分からは気づかない」「靴下にも?」「特に靴下には」「なくなった原因を、ご主人は何だと思っているんでしょう」「たぶん私です。この前も『この家、靴下なくなりすぎじゃない?』って」私は無言で「本日の殺意」を書き直した。★★☆☆☆ → ★★★☆☆「また増えた」「家に責任転嫁されましたので」「そう。家